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日本歴史紀行

日本全国の歴史史跡を巡る紀行ブログです。

歴史紀行 戦国編 9 寺部城跡

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歴史紀行 戦国編 9 寺部城跡

愛知県豊田市寺部町

徳川家康(同時、松平元信) の初陣の飾った戦場は、三河寺部城の主、鈴木日向守重辰との戦いでした。

1558年永禄元年2月、今川方の支配下にあった寺部城主の鈴木日向守重辰が織田方に寝返り、今川義元の命を受けた松平元信(徳川家康)が、三河の松平衆を率いて離反した寺部城、広瀬、挙母、梅坪の諸城を攻撃しました。

寺部城へは夜襲により落城させ、義元の期待に応えました。

義元は、元信(家康) に三河の旧領三百貫の地を与え、元信は、祖父…松平清康の武名にあやかりたいと、改名を義元に訴え、許されて名を松平元康と名乗ることになるのです。

最寄り交通機関

名鉄三河線 豊田市駅下車 …バス

愛知環状鉄道豊田駅下車…バス

名鉄バス 寺部中町バス停下車

歴史紀行 戦国編 8 豊国神社…豊臣秀吉誕生地

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歴史紀行 戦国編 8 豊国神社…豊臣秀吉誕生地

愛知県名古屋市中村区中村町中村公園

太閤豊臣秀吉誕生の地とされるのが、豊国神社の辺りです。(諸説あり)隣接する常泉寺には、秀吉誕生の際の産湯井戸があり、説得力があります。

豊国神社は、創建が明治18年と比較的新しく、当時の県令 国貞廉平が太閤誕生の地碑を建てた由来によるものです。

最寄り交通機関

名古屋市営地下鉄東山線 中村公園駅下車、

名古屋市営バス 豊国神社バス停

歴史紀行 戦国編 7 勝幡城跡

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歴史紀行 戦国編 7 勝幡城

愛知県愛西市勝幡

織田信長の誕生の地【那古野城誕生の説もあり】勝幡城跡です。

信長は、1534年天文3年5月12日に、父、織田信秀、母、土田御前との間に生まれました。【幼名 吉法師】

勝幡の土地は、近隣の津島湊を水運の要衝として重要視した信長の祖父、信定が築城しました。

信定が築き、信秀が繁栄させ、後に天下取りへ突き進む信長と、織田氏三代の居城となりました。

最寄り交通機関

名鉄津島線勝幡駅下車北口

歴史紀行 戦国編 6 清洲城

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歴史紀行 戦国編 6 清洲城

愛知県清須市朝日城屋敷

清洲城は、織田信長が1555年弘治元年に、守護代.織田大和守を謀殺して奪取した城で、小牧城に移るまでの約八年に渡り居城としました。

信長は、父 信秀の急死後に起こる跡目争いや同族、家臣の殺害計画などを次々と破って尾張地方の平定に動いた時期をこの清洲城で過ごしました。

柴田勝家の背信

二度裏切った弟、信行の謀殺。

岩倉織田家の追放。

そして命運を賭けて挑んだ駿河今川義元桶狭間で破り、三河松平元康( 後の徳川家康)を呼び寄せて同盟(清洲同盟)を結び、東の守りを固めた上で、美濃の斎藤竜興に狙いを定めました。

歴史紀行 戦国編 5 松平城跡(郷敷城跡)

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歴史紀行 戦国編 5 松平城跡(郷敷城跡)

愛知県豊田市松平町

松平城は、松平氏家督を継いだ親氏が近隣の村を攻め落とす際に築き上げた山城で、この山城を拠点に近隣の集落を攻略していきました。

やがて二代目の泰親は、山間の小さな松平郷から出て、肥沃な土地を狙いを定めて三河の平野へと進出していきました。

歴史紀行 戦国編 4 高月院~松平親氏、泰親墓所

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歴史紀行 戦国編 4 高月院~松平親氏、泰親墓所

愛知県豊田市松平町

松平家菩提寺高月院です。

松平館跡(現、松平東照宮)から更に奥地にある古寺で、元は寂静寺という浄土宗知恩院末寺でした。

後に徳川家康から百石の寺領を与えられて格式も上がり、江戸幕府の世になると、住職は徳川将軍家から選ばれるようになり、将軍家からの崇敬を受けるようになりました。

山門と本堂は、徳川家光の寄進により建立されました。

墓所のさらに奥に初代親氏、二代泰親、四代親忠夫人のの宝筐印搭が建ってます。

追記

肝心なな高月院本堂の写真は消失か行方不明となってしまいました。

訪ねたのは10年程昔で、撮影は画素数の低い携帯カメラでした。

お見苦しいかと思いますが、よろしくお願いいたします。

歴史紀行 戦国編 3 松平館跡 (松平東照宮)

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歴史紀行 戦国編 3 松平館跡(松平東照宮)

愛知県豊田市松平町

徳川家(松平宗家)発祥の地の松平館跡です。館跡には東照宮として江戸幕府の聖地として崇められました。

この松平郷が後に続く徳川家の発祥の地となった由来は、小さな松平郷に一人の旅行僧が立ち寄ったことが始まりでした。

松平郷の中桐屋敷の主人、松平太郎左衛門信重が連歌の会を開いた際に、歌の筆役が居なくて困っていたところに立ち寄ったと見られる旅の僧に筆役を依頼しました。

旅人は、名を徳阿弥と名乗り、連歌会は徳阿弥の筆役で開かれ、この連歌会が縁となり、徳阿弥は松平太郎左衛門信重の入婿となり、松平親氏と名乗り、松平家家督を継ぎました。

やがて三河一国の大名、さらに日本国を束ねる将軍家の礎を築く徳川家康が誕生するのは、親氏から泰親、信光、信忠、長親、信忠、清康(家康祖父)、広忠(家康父)と続くまで更に一世紀以上の時が必要でした。