歴史紀行 戦国編 9 寺部城跡
歴史紀行 戦国編 9 寺部城跡
愛知県豊田市寺部町
徳川家康(同時、松平元信) の初陣の飾った戦場は、三河寺部城の主、鈴木日向守重辰との戦いでした。
1558年永禄元年2月、今川方の支配下にあった寺部城主の鈴木日向守重辰が織田方に寝返り、今川義元の命を受けた松平元信(徳川家康)が、三河の松平衆を率いて離反した寺部城、広瀬、挙母、梅坪の諸城を攻撃しました。
寺部城へは夜襲により落城させ、義元の期待に応えました。
義元は、元信(家康) に三河の旧領三百貫の地を与え、元信は、祖父…松平清康の武名にあやかりたいと、改名を義元に訴え、許されて名を松平元康と名乗ることになるのです。
最寄り交通機関
名鉄バス 寺部中町バス停下車
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歴史紀行 戦国編 3 松平館跡 (松平東照宮)
歴史紀行 戦国編 3 松平館跡(松平東照宮)
徳川家(松平宗家)発祥の地の松平館跡です。館跡には東照宮として江戸幕府の聖地として崇められました。
この松平郷が後に続く徳川家の発祥の地となった由来は、小さな松平郷に一人の旅行僧が立ち寄ったことが始まりでした。
松平郷の中桐屋敷の主人、松平太郎左衛門信重が連歌の会を開いた際に、歌の筆役が居なくて困っていたところに立ち寄ったと見られる旅の僧に筆役を依頼しました。
旅人は、名を徳阿弥と名乗り、連歌会は徳阿弥の筆役で開かれ、この連歌会が縁となり、徳阿弥は松平太郎左衛門信重の入婿となり、松平親氏と名乗り、松平家の家督を継ぎました。
やがて三河一国の大名、さらに日本国を束ねる将軍家の礎を築く徳川家康が誕生するのは、親氏から泰親、信光、信忠、長親、信忠、清康(家康祖父)、広忠(家康父)と続くまで更に一世紀以上の時が必要でした。