日本歴史紀行

日本全国の歴史史跡を巡る紀行ブログです。

Re:歴史紀行 戦国編 1 岡崎城

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徳川家康が産声をあげた岡崎城です。

家康は、1542年天文11年12月26日に松平広忠の嫡男(幼名、竹千代)として誕生しました。

竹千代3歳のとき、母於大と生き別れ、6歳のとき駿河今川家の人質として駿府に送られる途中に叔父、戸田康光に欺かれて尾張織田家に売られる等、様々な苦難を受けました。

家康が岡崎城の主として帰るのは、今川義元桶狭間の戦いで敗死する1560年永禄3年、家康19歳のことでした。

葵の道 1 徳川の系図

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徳川家康は、征夷大将軍として1603年慶長8年、江戸に幕府を開きますが、徳川家による治世は、最後の武家政権として、後の明治維新を迎える1868年慶応4年までの約265年に渡り長期政権となりました。

幕府の長である征夷大将軍は、源氏の血統でなければ、就くことが出来ず、その源氏も辿ってゆくと、天皇家に結びつく慣例のためとされるます。

将軍となるために家康が行ったことは、素性のはっきりせぬ自らの血統を、自分は、第56代清和天皇から始まる~清和源氏嫡流、新田氏を祖先として系図をまとめて将軍になることを思いつくのです。

さて

家康が自らの祖先として結びつけた新田氏とは…?

このカテゴリーでは、家康が将軍となって明治の世に政権を渡すまで日本の武家の頂点に立っていた徳川家の前と後について、少々長くなりますが、書いていきたいと思います。

よろしくお願いいたします。

歴史紀行 江戸時代編 1 特別史跡 江戸城大手門

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江戸城大手門

東京都千代田区皇居東御苑

かつて徳川将軍家が15代に渡り日本を支配した天下泰平の居城は、現在の主は、天皇皇后両陛下はじめ、皇室の方々の御住まいとして使われており、一般には、東御苑一帯が開放され、大手門、平川門、北桔橋門の3ヶ所から出入りが出来ます。

江戸城の正門となる大手門は、桝形の構造になっており、敵の軍勢の直進をさまたげ、櫓門から敵を狙い打つ役割りを果たします。

この門の工事を担当したのが、伊達政宗といわれてます。

最寄り交通機関

東京メトロ 大手町駅下車

札幌雪まつり

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史記事ではありませんが、今日開幕の札幌雪まつりを一足早く見てきたので、一部ですが載せてみました。

一枚目は、雪まつり期間中に毎年制作される道庁赤レンガ広場の巨大雪だるまです。

2枚目は、進撃の巨人。札幌に襲来

3枚目は、マカオ聖ポール天主堂跡

歴史紀行 戦国編 10 伊賀八幡宮

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歴史紀行 戦国編 10 伊賀八幡宮

愛知県岡崎市伊賀町東郷中

1470年文明2年頃、松平氏氏神として四代目の親忠の手によって創建されました。

徳川家康が本殿を建立、改築し、合戦の際には参拝する守護神でした。

初代 服部半蔵の保長がこの地域に屋敷を与えられたといいます。

江戸時代、徳川家光が家康を祭神に加えました。